No.5-3

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Miurlia半島!

その2.廃墟の洋館〜付近

 まずは、前ページの葉山御用邸の海上にいた警備艇の写真をご紹介しよう。

海上左側の白い船である。アップの写真が下である。この船はすでに御用邸から天皇が帰られたと言う日の深夜までピタリとこの場所に停泊していた。
 さて、葉山御用邸近くの長者ヶ崎から南下し前回紹介した廃墟の洋館の下をみる為に海岸に降りる。海岸の波打ち際を全て歩くコトは出来ないため坂を下りたり上がったりしなければならない。まずはレストランPLAGESUDの入り口看板の坂をおりて行く。
この坂を下って海岸をしばらく歩いたところが下の写真である。左の奥に白く見えるのが先ほどのレストランだ。
波打ち際を歩いてついた場所が下の写真である。奥の方から歩いてきたことになる。
この場所で道路側をみるとこのような下のような事態になっていた。

 上の空の中に見えるのが、先ほどの廃墟になった洋館である。この日の一週間後に春一番が吹いたのだが、壁が剥がれ初めていて、もはや時間の問題か。この洋館の手前にもう一件廃墟があり、その下がこの廃墟である。この廃墟は建物だけでなく、手前の地盤も崩れていて、結構な土木工事をしなければこの場所の開発は出来ないだろう。

道路上の洋館の廃墟

 この場所の左右を見ると護岸工事をした、しっかりした建物が建っている。右の建物はどこかの保養施設のようであるが、その先に個人の家のようなものが見える。
砂浜の先の白い家の手前の場所が下の写真である。実はこの写真は一件の家ではなく、奥の擁壁との間に道路への登り口があるだ。逆に言えば、この先を波打ち際を歩くにはテトラポットの上を行かなくてはならないのだ。つまり、この家は外部からの視線が海側からしかないのである。

 私はある建物を紹介した洋書の中で見た家の周囲が湘南のような気がしていたのだが見た覚えがなかった。しかし、今回この家だと確信できた。ほんとに細かくは見えないのだが、隣の家や岩などの関係から確信できたのだ。

この左の家はその本の写真に写っていた。こちらの家から見える海側の風景はこんなだ。
家からは沖に海鵜の住処になっている岩が見えるのだ。洋書の写真にもこの岩が写っていたのだが、家主もこんな目でみている人間がいるとは思わないだろうな。
 その白い家でさえ、海辺に降りる坂道脇の壁は写真のように遮蔽している。左の家は何気ないのだが、家の全体像が見えないのだ。
 坂を上りきると、この家の玄関が見えるが、とにかく海への開放感と陸側への閉鎖感が海辺の家の特長なのか?いずれ、左の家の記事を紹介するかもしれない。

 と、今回はここでまた道路に上がってしまったので、おわりとしよう。


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