No.5

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春はやっぱりバイク。
 鉄腕アトムの生まれる前日の4月6日の日曜日は、超晴天で桜は満開。まさにお花見日よりでした。こんな日はどこへ行っても大混雑間違いなし。そんななか春の気候に誘われてゲンチャリで花見国民の待ちかまえる、かつての首都カマクラに向かったのだ。それも午後の1時過ぎにだ。
 あたり前だが自動車ででかければ家を出て数キロのところで足止めを食らうのは分かっている。そこで我が装甲車いや、走行車両は冬に木炭で走りそうだった屋寝付きスクータ「キャビーナ」である。
  今回は花見や湘南の写真を撮りたくて、荷台にカメラバッグを縛り付けて胸からカメラをぶら下げた従軍カメラマン・スタイルで行くのだ。走りだして早々に桜が満開の場所があり、写真を撮ろうとしたら幼稚園の敷地で、ちびっ子達が花見の宴会をしていた。彼らは陣取りしないでも良いのだ。園庭が上野公園なのだ。そこをすぎるとまた桜の花が見えた。そしたら、それよりもっと凄いものが空を待っていたのだ、トマホークやテポドンと並ぶかも知れない日本式新型ミサイル「コイノボリ」だ。
 これがまた、悠々と上空でねらいをすましているでは無いですか。その写真がこれです。

 しばらく見ているとまるで生きているかのような膨らみや動きなのである。そうだこれは我が国の生物的非科学兵器と呼べるかもしれない。とにかく久々に鯉のぼりを見たのだがとても幻想的であるし、この鯉のぼりは10匹くらいいて、大きな鯉や子供の鯉や孫のの鯉・・・という歌を思い出してしまった。それにしてもこんなに飾れるこの家の敷地はどのくらいあるのだろう。

 さて、このあと戸塚をすぎて大船、北鎌倉経由でイザ・カマクラを目指したのだが、案の定、北鎌倉駅前の道路は大渋滞である。私はこの渋滞抵抗勢力の脇をスイスイと走り、ついに鎌倉八幡宮前についた。まあ、クルマでこんな所に来ても駐車スペースがあるわけない。しかし、バイクは良いね〜。どこでも止められるのだ。私は荷台のカメラバッグをハズしてイザ八幡宮の中へ。

 ほんとに、お正月のような混雑である。参道をパトカーが走りながら、拡声器でこんなことを言っていた。「この周辺にスリが出ていますので、持ち物に気をつけてください。」そうなのだ、こんな所に彼女と二人で来ているようなボケはターゲットになってしまうのだ。私みたいにこんな日は一人でカメラを抱えてくるような所なのだ。ってワケはないのであるが、女の子のグループも随分うるものだ。
 また、私自身もしかしたら、八幡宮に来たのは四半世紀ぶりかもしれないことに気が付いたのだ。高校3年のお正月に大晦日のアルバイトのあとにみんなで来たことを思い出した。それが最後なら30年ぶりである。「そうだ、京都行こう」の前に「ありゃ、鎌倉も行ってない」ってキャンペーンはどうだろう。
 さてさて、このあと帰りに海側を通ることにして、内陸から逗子へ向かった。鎌倉と逗子の間にある名越トンネルというのがあるのだが、よくテレビ番組でオバケがでると言われる所だ。昼間だし私は何度もクルマで通っているから平気だ。と、ゲンチャリで走ってみるとこれが以外と長いのだ。確かに夜だったら怖いかもしれない。隣のトンネルの音などが反響するのである。
 まあ、無事に逗子を過ぎ、葉山の御用邸まで足をのばしてそこから、海岸線を北上する。このコースに関してはTTTの湘南北上レポートで書いたコースだ。あのときは歩きだったがさすがスクータだと楽チンだ。


 荷台にカメラバックをつけた撮影車両
 今回はこの姿で道路の左側を我が物顔で走り気に入った風景があると、首からぶら下げたカメラで海側の写真を撮っていった。一色海岸、森戸海岸、葉山マリーナ、逗子海岸の渚橋の上では富士山に落ちる夕日のタイミングである。渋滞しているクルマにおかまいなく私は特等席で写真がとれるのだ。
 今回、撮った写真を見せたい位なのだが、仕事に使えそうなので紹介は省きます。
 さて、夕陽が富士山の後ろにいってしまったので、ここから一気に逗子から鎌倉へ、由比ヶ浜を過ぎて江ノ島の見え始めるポイント稲村ヶ崎の頂点につく。ここはクルマを走りながら正面に富士山が現れて感動する場所だ。

これが、その写真であるいつもいつも、ここをクルマで走りながら写真を撮れないことを悔しいと思っていた。今日は富士山も現れてくれて、ついにその夢がかなったのだ。このあと、この稲村ヶ崎の公園にスクータを止めてもっと写真を撮ろうと思ったら、なんだなんだこの人だかりは。そこには100人ほどのアマチュア・カメラマンが三脚を立てて富士山をねらってくるではないか。これから富士山が記者会見でもすかのような姿にびっくりなのだ。薄暗くなったそこを奥へと進むとなんだか、このカメラマン達の平均年齢は60歳くらいではないかと気が付いた。私なんかはヒヨッコと言うやつなのだ。

 完全に暗くなりはじめ一斉にみんな帰りはじめた。オジーちゃんからオバーちゃんまで、老若男女ならぬ、男女といっていいだろう。何がこう人々をひきつけるのだろう。

 というわけで、私ももう一枚ジャンパーを着込み家路に急いだのでした。普段は駅までの片道3Kmの往復しか走らないので、何ともなかったのだが、今回往復で70Kmを走ったのだ。そしたら、アクセルを回す右腕が疲れてしまったのだ。エンジンで走ってるはずなのに、手が疲れるんですね。

この項おわり
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