Vol.3-3

Early Retire Times トップに戻る

Back Nomber

オールディーズを聞きながら。

 小一時間は寝ただろうか?かけていたCDチェンジャーの曲がオールディーズに変わっていた。ママス&パパスのカリフォルニア・ドリーミングがかかっていた。確か70年代の曲だと思うのだが、私は1978年頃に封切られた映画「カリフォルニア・ドリーミン」を思い出す。映画そのものが懐メロ的な映画だったのだが、私にはカリフォルニアに憧れる実体験の時代だった。このころ日本ではメイドイン・アメリカの大ブームで雑誌ポパイやブルータスが発売され、映画館では同時期に「ビッグ・ウェンズデイ」というサーファーの映画も上映していて、日本でもサーフィンブームだった。この頃のアメリカ映画はジョージ・ルーカスやコッポラなどによる1973年の「アメリカン・グラフィティ」以後、古き良きアメリカが流行っていた。たぶん70年代までのアメリカはベトナム戦争の時代で、それにやっとケリがつき、明るい時代に希望を持ったのではないかと思うのだ。 
 私の場合いつの時代でも豊かで健全な(実体は分からないが)アメリカの50年代から60年代に憧れている。今、ちょうどCDからボブ・ディランの「風に吹かれて」が流れてきたが、これなどは70年代のアメリカの混乱を象徴している。私が学生の70年代前半はまさに泥沼のベトナム戦争と言う時代で、フォークソングや学生運動を先輩の「団塊の世代」がしていた、ちょっと遅れた私たちの世代は飄々とすごした世代である。桑田佳祐や荒井由美(現・松任谷)。そんな我々は苦痛が嫌い。

 ああ、今CDのスピーカーからオンリーユーが流れてきた、この曲は映画「アメリカン・グラフィティ」の中で効果的に使われていて、この曲を聴くと「アメリカン・グラフィティ」を思いだすのだ。だから、自分が50年代の青春時代を体験したような気がしている。あの当時は50年代に青春を送った人がうらやましいと思ったものだが、映画をまねてリーゼントにし、両切りのキャメルをTシャツの袖に挟んだことも思いだして、それなりの青春映画が作れるような時を過ごしたなとも思える。友人の黄色いHONDAシビックは黒いソフトトップをつけていて映画「アメリカン・グラフィティ」のT型フォードを彷彿とさせる。私はイギリス製フルオープンカーに乗っていた。まったく若気の時代をすごしいたことを思い出した。ここ10年の失われた時代と一緒に自分も失っていたような気がする。勿論、今も不景気な日本は何かを失ったままだが、失っていることにハッキリ気がついたことに意味がある。得たい事やモノに気づくからだ。

 欲しかったのは、みんなと同じモノだったのか。世間並なコトだったのか。一億総中流時代と言う言葉もバブルの時代に流行った。これからはそうはいかない。逆にその正反対の一億バラバラ流時代になるだろう。だから、隣の人を気にしたりしてはいけないのだ、自分にとってのベストな人生が良いのだ。そこで一億総自分流時代がくるのだ。上流中流下流階級、自分流には階級がない。それぞれがうらやましい人生の送り方をしていれば、それがうらやましがられるのだ。

 昨日のテレビ番組で年収が下がっても自分のやりたい仕事に転職した人を紹介していたが、みんな楽しそうに仕事をしていた。所得のためにする仕事から、楽しく思える仕事に転職したわけで、目的が自分の為になったのだ、たぶん今までは人との比較の為では無かったのだろうか。その人たちは会社の早期退職支援もあったので・・と話していたが、収入のことよりも自分の人生を失うことに気づいたと言えるのだろうか。

 このページで偉そうなことと言う気などは全くありませまん。ただ、マイナスイメージではなくプラスイメージでERを考えると人生がもう一本味わえるのではないかとつくづく思う今日この頃なのです。

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 なんだか3時だと言うのに外の天気が暗くなってきました。波は高くなり、室温も下がってきました。やはり冬です。今日は夕陽も見られそうもありません。この辺で退散しようかと思います。

つづく
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