No.006

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アートって何!

 このALTも以外にカウントが進み出したので、煽られるように最近気になった話をひとついたします。今回はピカソの話。


ピカソ作「アヴィニヨンの娘たち」

 前回のこのページで。下記のようなことを書いたのだが・・・

その時思ったことが、他人が美しいとか、綺麗とか、すごいとか感じ、感動を与えられればアートなのではないかと。

先日、テレビ東京の「美の巨人たち」を見ていてピカソの「アヴィニヨンの娘たち」の話で(本文はこちら)[下記の青地は引用です]

今日の一枚、パブロ・ピカソ作「アヴィニヨンの娘たち」。わからない・・・。あなたは1枚の絵を見た時、そう感じたことはないでしょうか?何故画家は、こんな絵を描いていたのか?何故画家は、天才と呼ばれるのか?(中略)しかしそれらは、長年美術界が目指してきた、美しさの追及という方向性からは、なんら外れるものではなかった。しかしこのピカソは、どうでしょう。彼は恐ろしい現実を、暴力的な表現方法で描くことで、それまでの絵画の全てに、鉄槌を下したのです。これこそ、絵画の可能性を一気に押し上げた第1歩、本当の革命。しかし、あまりにも強烈な破壊による革命でした。

 私の書いた見解がこの番組で変わってしまいそうなのだ。詳しくは引用している文章と元の番組HPをみて欲しいのだ。


マティス作「生きる喜び」

 ピカソの悪魔祓い・・・。何故、マティスはそこまで憤慨したのか?1906年、マティス作「生きる喜び」。タイトル通り、おおらかに、そして鮮やかに、生きることの喜びを表現した、夢のような世界。しかし、ピカソが放ったのは、醜く、暴力的な、恐ろしい悪夢でした。
 ただ、基本的に美術品ビジネスとした場合、商品価値はまず「気持ちよさ、美しさ」によるのも事実でこの作品も下記のようなことをたどった。
 余りの不評に、ピカソ自身もこの絵を封印しました。知人や友人以外、10年近くも、この絵は知られることがなかったのです。しかし彼は、確信していました。これからの絵画の歴史は、自分が作っていくと。当時、ピカソは25歳。『アヴィニヨンの娘たち』について、のちに彼はこう語っています。「あれは僕の最初の悪魔祓いの絵だった」

しかし、この絵「アヴィニヨンの娘たち」をニューヨーク近代美術館が購入したのは、1939年のことでした。完成から22年後。この絵は絵画の歴史に、名を刻んだのです。現代美術の扉を開けた作品として・・・。

 今回の話は引用だけで申し訳ないのですが、番組の説明がとてもわかりやすかったもので・・・。
 アートとはアーチストの生き方に価値があると認められることなのかなと思った次第。それで多くのアーチストは生きてる時に価値を判断してもらえないのだ。逆に現役時代にアーチスト気取りの人は、その後に忘れられる存在も多い。先日の鉄腕アトム誕生の日に手塚治虫のことを誰かが、
「手塚先生はこの日を見ることは出来なかったけど、作品が将来に渡って残るってことは永遠に手塚先生は生きているってことですよ」と言ったのですが、そうだなあと思った次第です。

この項終わり
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