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デザイン批評
充電生活

充電生活の始まりの始まり。
PART:1 充電について考える!

充電について考える
 今回のトップページに書いたように作家などが「充電期間」とか言って使う充電。 私はこの「充電」と言う言葉の響きは自動車のバッテリーを最初に思い浮かべる。

 今から20年以上前に買った自動車が英国製のオープンカーだった。その頃の英国車は電装が貧弱であり年中トラブルを起こしていた。そして古い設計のエンジンは大きなダイヤフラムを回すため朝の始動時にはバッテリーにすごく負担がかかる。なおかつたまにしか乗らない車だから、バッテリーは年中放電している。だから、乗ろうと思ったら前日にまず充電をするのである。だから、家族は電気自動車か?と行っていたが、公害対策前の自動車であり有鉛ガソリン仕様で燃費も良くて8キロだから、電気自動車のコンセプトとも全然違う。

 また、ガソリンも25リッター位しか入らないので、距離も180キロくらいしか走らないのだ。でもガソリンを入れれば良いと思うが、その当時は石油ショックの時で、日曜日にはガソリン・スタンドが閉店するという時代。現在の物価が5分の1位の時にガソリンは1リッター150円以上していた。つまり、現在に換算したら、1リッター750円時代である。(ウヒョー、こんなだったんだ。金持ちしか車は乗れないね)だから、満タンで緊急用の予備タンクをトランクに乗せて走っていたワケでまるで現在の電気自動車と同じなのですよ。

 さて、その時代は充電と言っても車とバイクのバッテリー位しかなかった。その頃のカメラも8ミリカメラ(フィルムの)も電池は使うが充電式ではない。まあ、モーターを回すのと露出計のための電池だからね。

 ウォークマンが出てきても、まだ乾電池の時代であり、やはりビデオカメラが出てきてからが、バッテリー時代の到来と考えられ、そして人類に「充電生活」と言う新たな生活の仕事を増やしたのだ。

 まあ、私はもともと、あまり乗らないのにバイクや車が多くて充電慣れしていたのですが、どちらにしても「電気製品、電池無ければただのゴミ」ということわざができてしまったのです。

 つまり、人類に新たな不安、そうハルマゲドンのような「そのときにバッテリーがあがっていたら・・・」と言う意識を生んでしまったのです。頭の中に生まれた新たな意識は自己のエネルギーを放電させてしまうのです。充電生活が増えると人は放電してしまう。そう、疲れちゃうんです。生活に。便利なハズが逆になる。このことに気づいたのです。

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     VOL.2 第1号 発行所 (仮想)fukuda'sマガジン社 発行人:Hachiano Magonotti     

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